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ダウンタウンの松本人志さんにあこがれて。オウムの松ちゃんの話

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インコのPBFDの陰転率と陰転させるために必要な3つの事

芸人大好きの飼い主が、「オウム界のお笑い芸人(鳥)になって欲しい」という思いを込めて名づけた一羽のオウム、「松ちゃん」のお話です。

オウムの松ちゃん

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オウムの松ちゃんは、2010年生まれのヨウムの男の子です。
お笑い芸人大好きの飼い主さんの下で大切に育てられました。

「お笑いといえばダウンタウン!大好きな松本人志さんのように周りを笑わせてくれる、オウム界のお笑い芸人(鳥)になってほしい」

という思いを込めて「松ちゃん」名づけられました。

松ちゃんはその名前のとおり元気で明るく朗らかに育ちました。

ヨウムはやや神経質なところがありますが、松ちゃんは「ヨウムというよりタイハクに近かった」というくらい明るい鳥でした。

大切に大切に育てられ、家族の中心だった松ちゃんに変化が起こったのは6歳をすぎた頃でした。

オウムの松ちゃんの変化

ヨウムのPBFD闘病記-ちびヨウム・トウイの命の全記録-

家族がケージの近くにいっても寝てばかりいる、ご飯を残すようになった、抜け羽が急に増えた、など一見すると換羽のような症状が出始めました。

それは3ヶ月以上続き、「いつもの換羽じゃない」と感じた家族は病院へ連れて行きました。

そこで、「原因不明の肝臓障害」と診断されたのです。

オウムの松ちゃんの病気

松ちゃんは診断を境に少しずつ弱っていきました。

体重も落ち始め、大好きなおやつも見向きもしません。

羽も艶がなくなり、爪もかさつくようになっていました。

飼い主は病院をかけまわり、ネットや本で情報を探し、あの方法がきくといえばすぐに実行し、あの病院が良いときけばすぐに連れて行きました。

しかし病状が良くなることはありませんでした。

オウムの松ちゃんとの残された時間

松ちゃんにできることは限られていました。

残された時間を家族でどう過ごすか、松ちゃんに幸せな時間を過ごしてもらうにはどうすればいいか。

家族で何度も何度も話し合いました。

沢山美味しいものを食べさせ、体力を落とさないように注意しながら色々な場所につれていきました。

もう戻らない今日という時間。

松ちゃんもそれがわかっているかのようでした。

松ちゃんとの別れ

闘病中、おしゃべりが減っていた松ちゃん。

旅立つ最後の2週間ごろから急によくおしゃべりをするようになったと家族は言います。

大好きだったダウンタウンの番組を何度も見て覚えた「松本人志さん」の口調、ボケ、ツッコミ。

松ちゃんは「僕も松ちゃんなんだ!」とでも言うように、松本さんの声でおしゃべりをしたといいます。

そして家族との別れのとき、松ちゃんが家族に残してくれた最後の言葉です。

「楽しまな あかんでえ」

家族は「悲しまないで欲しい、これからも僕を忘れずに毎日を楽しんで欲しい」という意味だったと確信しています。

最後まで家族に笑顔でいてほしいと願い続けて旅立った「松ちゃん」。

立派なお笑いのスターです。

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